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  • その161 : 話題、「データモデラー」という職種名は生き残るだろうか?

    今回は、筆者が参加しているDama-J(データマネジメント協会日本支部)のデータモデリング分科会での今年(2026年)に入ってからの話題を元にした内容です。その中で出たある参加者の投げかけで「『データモデラー』という語は、”10年後”に残っているでしょうか?」という議論が持ち上がりました。これは、昨今急速に進展しているAI技術に関連して出されたアンケート項目です。20名近い参加者の中から出された意見は、「残る(残っていて欲しい)」が1名。「残っていない(または役割が変わっている)」という回答が1名。その他の参加者は「不明、または保留」という結果でした。

    当日、筆者の出した見解は「残っていない(または役割が変わっている)」という、議論参加者に取って過激とも受け取れる意見でしたが、今回この欄でその補足説明をしようということです。現在、データモデラーというのはIT業界において、計算機システムで取り扱うデータについてデータの保管・やり取り等を行う中で、データの形式や保管形態を地図のような形で設計・文書化を行う専門家(人)と捉えられています。しかし、昨今のいわゆるAI技術の発達により、業務の定義文書などを元にある程度の率で、旧来のデータ取扱のための設計情報を、AIが生成し出しているということが認識され始めています。更に設計・管理するためのデータモデル情報を扱うためのツール類側も、ツールベンダーが積極的にAI機能との連携を開発し組み込み・提供を始めています。但し、この成果物の提供範囲はまだ揺籃期であると云えますが。

    このような状況の中で、提示された”10年後”という点に着目すると、現在のAI技術の進展・浸透の加速度から捉えると、100%と迄は行かないものの、半自動的に作成される成果文書の出来上がり精度は向上することが期待されるでしょう。更にこの浸透に対する加速具合は、利用する側の積極性に依存するといえるでしょう。つまり関与する人間の側が、AIへ頼る度合いが高まるという推測が有り得るという点です。10年という期間は、そのために十分な時間枠であるというのが筆者の推測です。従って、データモデル情報を生み出す主体は人間の手から離れるという形が予測されます。

    このような中で「データモデラー」というのは人の役割を表す用語ではなくなるという、筆者の見方です。仮にこの語が残るとしても、それは人を表現するのではなく、データモデルを作成・管理するためのツールに冠せられる語として使用されているのではないでしょうか。こういった環境では、人の役割に期待されるのは、出来たデータモデルの品質を保証・監視し、その利用結果の正当性を見守るための位置付けとして機能するのではないでしょうか。また高位レベルのデータ晃造 ・意味の考案者としての「オントロジスト」といった用語が生まれている時代になっているかもしれません。
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  • その160 : AIベースツール利用に向けた奇妙な意識の広がり

    いわゆるAI基盤をベースにしたといわれる昨今の様々なツール利用環境の広がりは、眼を見張るものがあります。LLM利用を踏まえた自然言語処理分野にを初めとして、動画を含む画像処理や音声活用、そしてRAG技術の導入によるローカル知識適用などです。「百聞は一見に如かず」という諺がありますが、近頃では画像情報への無条件の信頼というものは限りなく低くなってきているという状態です。更にAIエージェントを用いた作業プロセス代替分野へのビジネス参入といった内容への広がりもあります。外部情報の検索・整理に留まらず、資料の代替作成、はたまた人生相談、お茶の間談義からペットの代わりというような分野へも伸びてきているというのが、近頃の実感的流れと云えると考えます。

    こういった流れは、AI技術を安易に利用することへの警鐘を拡大するものだと筆者は考えています。以前に本欄で触れたように、誰でもが容易に利用できる技術というのは、経済優先の意識を持つ人々が蔓延する世界では、主にネットを通じて流れる情報の品質・信頼性を著しく低下させる傾向を生んできている実感を感じさせられるというのが(筆者の持つ)これまでの経験則です。AI活用が個人の発想、あるいは情報整理に役立つという実感は筆者も認めるものの、出力される内容を無批判に利用し、広めることについては危惧されるものがあります。AI技術・応用環境をツールとして提供する側(これをAI情報の「ベンダー」とここでは呼ぶことにします)は、出力される結果内容に関して、ある意味当然ながら責任を回避するメッセージを発しています。つまり内容の利用については、全面的に利用者の責任とされます

    一方で出力される結果の内容を筆者が評価した範囲では、現状、見かけは綺麗に見えるものの、無批判の利用に対する信頼性は高いということはできませんでした。言語データを元にした長文ソースの要約(文章だけでなく、スライド資料作成を含む)について、元のデータから残されるべき論点が省かれてしまうという結果も見られる例が少なくないと筆者は見ています。更にAIをプロセス処理の代理者としての利用については、結果の評価と責任の所在について無視することはできないものと考えることができます。組織での業務上利用と、個人の利用とは重要度評価の視点が異なるでしょうが、AIの出力結果に寄せる信頼性という観点では、どちらの立場でも無視できるほど低いものと考えることはできない。つまり利用上のリスクは低いとは云えないと考えるということです。

    つまり、上記の点を考慮に入れない利用というのは避けるべきであるというのが筆者の位置付けです。ベンダーの強調する導入利用へのアピール(つまり、マーケティングや宣伝)には十分な注意が必要だという視点を強調します。これは、組織として導入を決定する権限者(これは通常、経営者となることが多いでしょうが)、その責任性を強調し、その準備を怠らない形での意志決定プロセス、及び説明責任発生が避けられないものとなるでしょう。つまり「AIを導入したために発生した」という理由を経営上の言い訳として使うことのできない社会が訪れるということだと、筆者は考えます。
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  • その159 : 2026年へのメッッセージ(AI活用時代とは?)

    昨2025年は、AI技術の話題が一般・汎用利用の形で広がり、AIという接頭辞が付加されずにいると技術的に遅れを取っているかのように捉えられてしまうほどの勢いが生まれた年と言っても過言でない状況でした。これまでの多くのブラウザを介した情報へのアクセス、調査といった人々の行動が、一段階越えて直接AIに任せてしまおうという流れを生もうとしていると云えます。しかし、この傾向は「人間の知性の在り方」から見れば必ずしも望ましい形とは云えないのではないとも思えます。それは、AI技術から流れ出すブラックボックス的情報の「正確度」に限らずその「信頼度」、「依存への適切度合い」といった部分の疑念が生まれているからとも関係するでしょう。そこでは人間的心の見えないブラックボックス化した世界の出現といったものです。

    今年2026年は、更にその行く先をしっかりと見つめる「人としての智慧の在り方」が人間側にとって試される年となる予感がします。また、それ以上に、社会的、政治的な意味での大変化の出発年となる大きな可能性も予想されます。筆者としては、上記の背景を見据えながら、ある意味淡々とした視点を持って迎える年にしたいと考えているところです。一種の「・・・したい」という願望よりも「・・・する」という行動を踏まえる年と云えます。

    そのような背景を元に「今年のテーマは「多層的に意識を捉え、2027年からの変化に備えること」とします。改めて引き続き、ご縁のある関係の皆様方と共に考え、行動につなげることと致します。時流を見つめた中で、皆様にも良い年とすることを目標としましょう。以上、新年を迎えての短いメッセージでした。
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