アーカイブ2015年

ここでは、これまでの所長メッセージを案内しています。                   <トップページへ戻る>

  • その19:アプリケーション選定において、忘れてはいけないこと
  • 前回は、(コンピュータ環境で提供される)アプリケーション(業務)の仕様は、経済原理で決められてしまう傾向があるのではないかという問いかけを行いました。付け加えるならば、特に据え付けとなるようなアプリ(以後、”アプリケーション”をこのように省略表現)にはそのような傾向が強まる可能性が高いと考えられます。クラウドでサービスとして提供されるアプリには、それが顕著に表れる。一方で、一つのサービスの利用形態が流行すると、他のアプリ提供者もそれに類似した機能を提供し始めようとして、先行者の差別化が難しくなる方向が生まれる。そこで、時として突然前提となっていた利用者インタフェース(使い勝手のこと)が変更され、それまでの利用者に戸惑いを起こさせる。利用者にとっては、言わば新しいインタフェースに再度慣れるまでの時間的コスト負担を掛けさせるという結果が生まれます。
  • 提供者によるサービスを一方的に利用する立場になる利用者には、このようなリスクを負担する姿勢が要求されることになる。そのような事態を嫌う利用者であれば、自分たち自身でアプリの仕様を設計し、それを作成・維持するという方向に走ることになります。その分独自性を維持するためのコスト負担を容認する立場になります。その際にアプリ構築の基盤がベンダー依存環境のものであることをできるだけ避けるためには、公開された仕様(オープン環境)に基づくものを利用したい。それがオープンソースが受け入れられる素地となっています。ある程度のベンダー依存性を許容する企業は、その代わりにデファクト・スタンダードといわれるような基盤を選択し、ベンダーと連携を取る方向を選ぶことになるかもしれませんね。
  • 結局、出来上がったアプリというのは利用上、何らかの応分のリスク負担を避けられないということです。つまり、そのアプリの環境におけるリスクはある程度許容しながら、仕様自体はしっかりと自分たちのものとして抑えておくという方向性が、最も妥当性の高い手段といえるようです。但し、そういったことを自分たちの物として管理・維持できないと判断する企業は、作り付けのものを選ぶしかないということになります。その場合には、複数の提供者により、それぞれで提供される機能比較と価格的な要素(総合的な費用)が着目されるということになります。
  • 以上のような「タラレバ論理」から推し量ると、独自性、差別化、競争力といった要素でアプリを戦略的に利用したいと考える企業は、仕様の決定力、その技術的開発と維持力が重要要素となる。一方で、通常業務を支援する或いは代替する手段としての意識が強い企業、またはそこそこの先行者への追随力があれば良いと考えている企業は、目に見える機能の選択と費用の視点でアプリ選択をするという方針で動く可能性が高いといえるのではないでしょうか。
  • つまり、今回の記事の結論としては、各企業の備える能力と経営方針を抜きにしては「アプリ選定」が成り立たないということです。アプリ提供者の高らかに語る宣伝文句と、単純な機能比較を元にするだけで、自分たちの利用アプリを選ぶというのは、後での後悔に繋がる可能性が高いことを頭に入れておく必要があります。この意味で改めて「己を知る」ことが重要ということになります。 (先頭へ戻る)
    • その18:基盤とするアプリケーションの仕様はどのように決まるのか?
    • 私の手元にもマイナンバ通知カードが到着しました。周辺でも届いた話題が出てきますが、流石に全国的には配達分量も多く12月20日位まで配達完了が延びるという発表も出ています(ラジオの政府CMでは、11月末頃までに届くという案内が続いていたのには、一人で苦笑しましたが)。20日を過ぎると、年賀状の引き受けと配送準備が始まるため、日本郵便でもそれ以上は遅くはしたくないという悩みどころでしょう。

    • さて前回までは、Google AndroidやFacebookの勝手仕様に関する話題に触れました。無料でのアプリ提供だから勝手仕様が許されるという考え方は、アプリに慣れた利用者にとっては迷惑以上の何ものでもありません。一方、一般向け有償ソフトウェアの場合、開発・提供企業の側からするとある期間の中で次の売上げを上げなければならないという状況から、定期的に機能向上を名目とした機能改変を行ってゆくということになります。その際に利用者が慣れたインタフェースを大きく変更して、見かけに影響を与えたり、時には名称を変更して利用者のもつイメージに継続的に刺激を与える必要があるというところです。

    • これを言わば「やりすぎた例」がWindows8の話になる。タブレット端末の台頭を余りに意識し過ぎたためか、既存PCのユーザにとってもタブレットユーザにとっても魅力を感じないような製品になってしまったと言わざるを得ない状況を作ったといえる。Windows10という、9を飛ばした名称付けとスタートボタン・インタフェースを復活させた上で当分無償配布を行うというところにMS社の人気回復への工夫作りが見て取れる。今後どこまで広がるかが着目点です。元来PCほどのスペックを必要としない人々までPCを高額で購入せざるを得ない状況であったところへ、タブレットやスマートフォンというネットワーク接続端末が出てきた流れを、どのように捉えてゆくか。一方ではPCのような使い勝手を必要とする利用者も継続的に存在するという現状があります。
    • また、ネットワーク接続と使い勝手を利用者に提供するインタフェースであるブラウザ。この環境があるために背後では、利用者の行動ログを取得しようという試みが行われています。これが顕著に出ていると思われる例として、ITProなどの情報提供サイトが上げられるのではないでしょうか。最近富みにバックグラウンドで動いているスクリプト類が負荷が高いためか、ページ表示がとてつもなく遅くなったと感じさせられます。既存環境の延長で利用しているユーザにとっては、これも迷惑な話でしょう。提供者の論理で、また原稿ページを細切れにしてやたらと表示しなければならないページ数を増やしてみたり、その上でページ切り替えの時間が遅いというのでは、利用者にとっては迷惑この上ない事態に陥ってきています。これも無料だから許される話ということかどうか。(実際には無料のページだけではないことも)

    • このように見てくると、現在のネットワークで接続利用されているアプリケーションの仕様というのは、経済的原理で決められているのではないかという見方ができます。経済的原理で動く限り、提供者視点での勝手仕様がまかり通るということになると言う訳でもあります。このアイデアは、先日、心理学者でありながらノーベル経済学賞を2002年に受賞したD.カーネマンの著書「ファスト&スロー」を読む機会の中で改めて感じて生まれました。心理学者の研究では、「お金のことを考えると人間は自己中心的になる傾向がある」という結果が出たことなどが紹介されています。この本には人間の犯しやすい「認知的錯覚」を初め、「幸福の感じ方」など書かれており、興味のある方は一度読んでみると良いと思います。
      少々、話題が飛びましたが、利用者にとっての利便性が継続されることが大切ということは、技術の発展と知識の継続性という視点からは忘れて欲しくないという点で強調しておきたいところです。  (先頭へ戻る)
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    その17:アプリケーションの仕様は誰が決めるのか?
  • そろそろ私の周辺でも、マイナンバの通知カードが届いたという話が出てくるようになりました。担当地区の郵便局まで動き始めてきたようです。全国的にみれば実作業として配布する量が半端な数ではなく、しかも簡易書留という手段を利用するため暫くは配達担当部署への労力負担が続くということになるのでしょう。前回は、社会基盤に近いソフトウェア作りの問題としてAndroid OSの話を取り上げました。実際問題としては、この話は少しも決着を見せる様子はなく、まだ混乱が続いているようで、Googleも全く改善する動きはないようです。
  • 今回は、同様に多くの利用者があると言われているFacebookについて考えてみます。これはソーシャルメディア(SNS)の代表的なアプリケーションという点について多くの人たちが認めるものです。利用者の心理をうまく捉えて、話したがり、自分の話題を不特定の人たちに見せたいという欲求を満たすということを行っています。そのための一つのキモになっているのが、人と人とのネットワーク関係を広げてメッセージの到達範囲を広げることでしょう。これを狙うためにFacebookの提供しているアプリケーションは何をしているのでしょうか?
  • その動きを見ていると、驚くことにスマートフォンにおいては、各利用者のアドレス帳の内容を抜き出して使っているようです。つまり個人情報の最たるデータである個人名などの内容をスマートフォンから抜き出して、人間関係のマッチングのために利用している。こういう使われ方をアプリケーションの利用者は果たして認識しているのかどうかが疑問といえます。仮に自分のアドレス帳をメモ的に利用している人があるとすると、そういう内容も抜き出してFacebookに覗かれているという可能性があることになります(驚きでしょう?)。
  • 先日は、利用者がFacebookアプリを停止させた積もりになっても、アプリケーション側でダミーの入出力処理を掛ける形でバックグラウンドで秘かに動き続ける仕掛けになっていることが問題にもなっていました。スマートフォンおよび社会ネットワークの資源を一つの起業がいわば勝手に使い回しているという事態になっているということです。こういうアプリケーションの仕様は一体誰が決める権利があるのでしょうか?恐らく現時点では誰も本当の制約を掛ける役回りを果たしてはいないというのが実体でしょう。せいぜい利用アプリのどこかに使うデータの範囲を断り書きとして入れて、それを利用者が信じて許可を与えるという「決め事」を設けるしか現時点では手立てがない。それを本当に守るかどうかは、アプリケーション提供者の「善意」に頼るしかないという訳です。これが悪用されるとFacebookのような事になる(ここでは問題提起のために、敢えて悪用という言い方をします)。
  • 多くの人たちが利用するこういったアプリケーションの仕様については、どこかで本来の意味での歯止めを必要とするだろうというのが筆者の見方です。経済活動の一環だからといって企業が何を行っても良いということではない。情報機器がネットワークで繋がって、ほとんど常時接続されている状態になると、放っておくと知らない間に自分の端末の中身を覗き見されている状態が続くということ。Facebookアプリもこういったウィルスソフトウェアに近い活動を行う仕様で運営されている状況に、一般の人たちはもっと危機感をもっておく必要があるといえます。いわば、技術の利用の仕方に歯止めを掛ける役目は一人一人にあることを忘れたくないものです。
  • 現在は、コンピュータシステムの能力が以前に比較して格段に能力が高くなり、今もそれは日々続いている。そして、その利用方法もテクニカルには際限のない利用をできるように拡大されてきた。後は、いよいよこれを利用する人間達の哲学に依存する、いわば文明感に関わるところまで進んで来ているというのが著者のもつ実感です。再び「アプリケーションの仕様は、一体誰がきめるのでしょうか?」 そして、その基軸となるモデルはどういったものなのでしょうか? 良く考えておく必要があります。  (先頭へ戻る)
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  • その16:モデルとは何かを、もう一度考え直そうか
    • 巷の話題に乗って少しマイナンバの話を続けたので、今回は最近の困った出来事をきっかけに、少々「モデル」ということを考え直してみます。このきっかけというのは、私の持っているスマートフォンが与えてくれたのでした。それはアップルではなくAndroid。以下ドキュメンタリタッチで書くので楽しんで下さい。
    • 数日前、使っているスマートフォンが突然動作が重くなり、充電したばかりなのに電池の使用量が半端なく増加し、見ている間に充電量が減って行くという事態に出くわしました。実はこの機種は買い換えた直後数週間後位に、今回と似たような形で充電喰いの状態があったもので(ここでは敢えて機種については触れません)、その際も2週間ほど携帯ショップを何度か往復してSIMを入れ替えたり通信会社に電話を入れて何時間も話をしたりなど大騒ぎをした曰くがあった。その時は最終的に携帯端末を同機種の別のものに無料交換することで対応完了し、何とか収まった。
    • またそれが再発したのかと思い、端末を何度も再起動したり、SIMを抜き差ししたり繰り返したが、それでも状況は変わらない。また携帯ショップや電話会社と気の長いやり取りを始めなければいけないのかと思い先が思いやられる気がした。しかし良く見ると今回の様子は少し違うように見えてきた。スマホの上部に表示されているアンテナ(電波状態)表示が灰色になっている。電波を受信できなくなったのかと思ったが電波レベルはそれなりに上がっている(もし電波受信不能なら端末が電波探知を繰り返すので電気消費するので心配した)。どうもそうではないらしい。電池消費は依然と続き、端末に触れると温度が上昇しているように感ずる。やはり再発なのか?
    • 念のため、設定機能を開き、バッテリ消費具合と使用しているアプリとをチェックする。そうすると自分で使っている意識がない「Google開発者アプリ」が電池使用のトップにいて断トツ。一体これは何者? 依然電池消費は続き、安定利用には耐えられない。どうせショップに駆け込むならその前に、と思いこのアプリを削除し、端末再起動ました。勿論自動更新はカットして。端末再起動後確認すると、何とアンテナが元の青色表示に変わり、電池使用量も「マトモ」な状態になったように見える。やはりあのアプリが元凶だったらしい。一安心したと思ったが話はまだ続く。いつも利用している(私に取っては必須の)Gmailアプリを立ち上げようとしても「Google開発者アプリが古いので起動不可」というメッセージが出て使えません。それは大問題。ここでもう思い切ってGmailアプリアップデート削除しました。それでトライするとGmail使えるように。画面のインタフェースが古くなり、慣れていたのとは異なりますが、私にとっては使えないよりはまだ増し。どうも他のアプリも立ち上げると同様エラーになり使えないものがある様子。しかし「Google開発者アプリ」を再度適用する気には全くなりません!
    • それで、GooglePlayでこのアプリが何者か調べようとしたところ、驚いたことにこのアプリ利用者への不満の山(評価1のオンパレードでした。何故かたまに評価5というのがあるのが不思議)。私も評価するならゼロ点を上げたいと思っていたので同感。アプリ説明によるとGoogleアプリサービス利用には必須のものという触れ込み。とても信じられない。最新の機種では動いているものもあるのかもしれないが、リソース消費量、勝手に通信するというのが半端ではない様子。携帯を販売している通信会社がこのような状態を放っているというのがもっと不思議でした。不満リストを見ると9月中旬位からこういった現象が起きていたようで、段々機種が変わり、このアプリバージョンを勝手にインストールするという仕組みが私の端末に回ってきたのがこの数日前であったということらしいのが分かった。もう2ケ月近くこの状態は修復されずに続いていることになり、利用者不満の山でソフトバンクは問合せ受付を止めたという話まである。
    • ここでやっと今回の本題に入いります。これまでGoogle Androidの提供する利用者モデルは、ある程度満足度を提供するモノと考えられましたが、どうやらGoogleはその利用者満足提供と安心領域を越えたらしい。どんどん能力更新されるハードウェア向けに機能拡張しているのかもしれないが、それは提供側の勝手な思い込みである。これはWindows8という、それまで慣れてきた者にとっては、とっても使う気がしないOSを出してきたMicrosoftの話題につながると思えてきた。それが今回、この稿を書きだした動機です。つまり、自社ビジネスのためのモデルがどこを見ているのかという点。余り利用者(消費者)を無視したようなモデルを続けていると、幻想を提供している間は良いかもしれないが、いつかその企業は見捨てられるように感じられます。早期に対策を立てないとAndroidは無用の長物扱いになるのでは?大袈裟かもしれないが、どうこれから対策するかで行く先が変わると思われます。
    • インフラ技術はやたらと機能更新を続ければ良いということでない。それを踏まえたモデル作りが重要というのが、今回の結論です。 (先頭へ戻る)
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    • その15:ホントウに、続「マイナンバ制度」いよいよ番号通知カード配布が始まる
    • ホントウに「番号通知カード配布が始まる」としましたが、まだ私の手元には届いてはいません。配布は10月中旬位から配布を開始して、その後11月中下旬を目処に配布を終わらせたいというスケジュール感になったようです。基本的には世帯単位で簡易書留の仕組みを利用して配布しようとしているのですから、配布する担当者および受け取る一般の方々と色々スケジュールがあるでしょうから、そう簡単に配布が完了するようには思えません。既に配布が始められた地方では、誤配や受取人確認不足などの問題が連日のように強調して報道されているという状況になっています。 今回配布しようとする人の住所も数ヶ月前時点での市町村役所への届け住居を元にしており、それ以降は住居変更届けがきちんと出ていることが前提のため、全ての配布が完了確認できるのはかなり先の話になるのではないかと観測されます。

    • 今回の一大イベントに関連して思い起こされるのは、「マスタデータの重要性」ということではないでしょうか。コンピュータシステムに関わっている方は、何となく「マスタデータ」という用語を聞いたことがあるかもしれません。それは言わば一つの大きな辞書のようなものです。その内容を信じて、意味を解釈し、業務に利用する元の情報ということです。そこに、例えばこのモノの色は「青色だ」とその辞書に書いてあれば、それを見た人は目を閉じたままで、それは青色なんだと信じなければならない、といった具合です。そしてその影響は、当該の辞書を利用する全ての関係者に波及します。

    • 今回、それ位重要な位置付けである全国民(外国人の方も居住者は含まれる)の辞書作りが行われる機会になっているということなので、それなりの負担があちこちの組織や住民に掛けられる前提です。その割には、事前の周知の努力が十分であったかどうかについて疑義も生まれるところです。直接のメリット感を意識できなければ、人はなかなか自分の問題として事前に認識することが難しいということも背景にはあるでしょう。一方で、これを進めようとする側の方も、特にトップに位置付けられる政治家の方などに一種の幻想も生まれているのではないかと思われます。マイナンバさえあればどんな仕掛けも容易に行えるという具合に。
    • この件は当面話題を提供し続けるでしょうが、どこかで冷静に事態を見続ける立場の人(または組織)が存在するということが、その事態の収拾という点で必要となるでしょう。またマスタという辞書が正確に更新され、維持し続けられるということを保証する立場の人(および組織)が実務として必要です。これらがマスタ管理を行う上での足掛かりになります。こういう立場が今回どのように運営されようとしているのか、外部である私には見えてきていません。来年からは更に身分証明書としてのカードが発行されるということなので、物理的な世界にもこの影響が広がるということです。当面、自治体関連の動きやイベントには目を離せない。

    • 何れにせよ、この制度が今後きちんと回って行くには、利用者でもあるマイカード保持者へのメリットが明確にならないと自覚的な行動に結びつかないのではないかと思われます。管理目的での押しつけ感だけが先に進むだけでは、どこかで無理が生じるだろう。本当の意味で「マイ」ナンバなのか、或いは形式的な「ユア」ナンバの提供なのか?これからが「平成物語」の始まりです。   (先頭へ戻る)
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    • その14:「マイナンバ制度」いよいよ番号通知カード配布が始まる
    • 表題として「番号通知カード配布が始まる」としていましたが、この文章を書いている16日の時点で、私の周辺でこのカードを受け取ったという人は現れていません。 そこで、まだ受領前の状態ですが、タイミングとして一度メッセージを書くことにしました。

    • 今日は、私の参加している日本エンタープライズ・データモデリング・ユーザ会(JEMUG)の定期ミーティングで、このマイナンバに関する勉強会を行いました。この会はデータの管理を専門としてきた&している方たちが、日頃の活動やあるべきデータ管理の話題について、主にデータのモデリングの視点から各自が話題を提供して、一種の勉強会を行うというものです。

    • ここでの今日の結論は、暫く様子をみるということになりましたが、一方の中心話題として、基本は住民表をベースにして単にユニークな番号を発行するだけで良かったのかということが出てきました。もし本格的に実施するのであれば、戸籍の部分から手掛けるべきではなかったのかということです。ただこれを本格的に行うにはより大規模な確認作業の手間が掛かる問題であるし、日本国籍(正確には居住)以外の人たちをどうするかという課題もあります。開設目的が税を中心とした管理なのであれば、それでも良いという意見もあります。できるだけ時間を掛けずに実施するのであれば、(正直、これまで余り成功したとはいえない)住基カードの既存インフラを利用するのが手っとり早いという考え方も背景にはあったのではないでしょうか。

    • 一方で、こういった共通番号の利用視点に目を移すと、これまでの受診・投薬履歴をもとにした医療分野での活用に広げることができるのであれば、それなりの意味はあるのではないかという意見も聞かれました。こういった分野は、現在のところシステム化するにしても、実体はシステムを提供するベンダーの仕組みに依存している状態です。これが、共通の番号を利用して顧客(医療受診者)の立場で、どのような医療機関や薬局を利用したとしても横断的に把握できるようになることで、重複や対応の組合せを把握できるようになるということです。逆に、そういった情報を見ることができるようになると、情報の見落としの可能性が問題となり、都合の良くない責任発生が話題になるのではないかという意見も聞かれました。しかしこれは受診者の立場から見ていない点で「論外」の視点であるというのが私の立場であるということにしておきます。

    • マイナンバの業務的な利用方法は、当初、税務・住民サービス・災害対応など限られた分野から始まりますが、9月にはその適用領域を拡大するという法案も可決され、徐々に広げられる方向にあります。消費税の還付策に利用するという話は、正直実務的に良い案とはいえませんが、今後健康保険の分野などで使われるといったことは十分考えられます。また、条例で取り決めることで、自治体毎に適用分野を変えることができることから、自分の住んでいる自治体での提供サービス確認や、これから引っ越しをしたい自治体がどのようなサービスを提供しているのか事前に知るといったことも、利用者の関心事になってゆくことが考えられます。

    • 何れにせよ、始めるのであれば、きちんとマネジメントを行ってゆくというのが基本的な取組みの立場であることに変わりはありません。その場合の責任の在り方も抑えて、より良い制度に仕上げてゆく必要があります。決して、単なるコンピュータシステム作りの話題、セキュリティばかりを気にする矮小化した文化の雑談材料にしたくはないというのが、所長としての期待です。   (先頭へ戻る)
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    その13:「マイナンバ」自治体の立場から考える
  • このところ何週間かの間、一般の方の立場を中心として、マイナンバに関する意識や認知について話をする機会が増えていました。正直、この直前のタイミングにあっても、関係者以外の一般の方々の認知度は高いものとなってはいないと感じられました。 比較的若い世代の方達でさえ、そういう状態ですから、世代の高い方達の正しい制度理解がどの程度進んでいるのか心配される状況ではないかと思いました。

  • 一方、番号通知カードの発行を行う立場となる自治体の方達の準備状況はどうでしょうか? 基本的には発行連絡の事務作業は関係機関から一斉に行われますが、通知カードを受け取った住民からすると発送・問合せ先は自治体の住民課(あるいはその事務に該当する責任課部門)となります。そこでは新たな事務作業として、住民からの問合せ対応を開始することになります。元のマイナンバ発行の基礎となった住民情報から、その後引っ越しなどの異動があった方との情報通知や正確性についてのやり取りも必要になってきます。10月早々から担当課は、暫く様々な種類の対応に追われることが想定されます。
  • こういった場合に対応する立場として準備すべきことは、以下のような点にあります。

  • 第一に、関与する部署と想定される対応業務フローの可視化、およびその関連部署間の共有化です。誰が、どういった出現イベントに対して、基本的にどう対応をすることが望まれ、そしてその結果がどうであったか、ということをどのように管理するかということです。

  • そして、第二には、非標準的と考えられるケースをどう処理するか、或いは誰にその最終判断を仰ぐのかを取り決め、事前に意識共有を行っておくということです。想定外の事象は常に発生するのが、マネジメント業務のいわば常識ですから、これを責任を持って判断できる状況を用意しておくことが大切です。

  • 三番目には、問合せ内容や対応結果、あるいは対応保留であればその対応状況をきちんと記録し、対応担当者以外も確認できるようにしておくことが要請されます。問合せや対応件数が単発的で数少ない場合には、このことを余り意識しなくとも業務が回っているという状態におけるでしょうが、対応件数が増えることで、対応窓口の管理負荷が急激に(加速度的に)増大することになります。従って、それらの対応と結果を後から確認できるようにしておくという意味でも、重要なことがらです。

  • 第四には、自治体側(住民側も当然そうなりますが)の担当者が不確定な情報に振り回されないようにすることが必要です。何となしに流れの中で「こうではないか」といった推測情報に振り回されないことを鉄則としたいものです。

  • これらは、データマネジメントという点から見ても基本的な対応ということがいえます。正確性と可視化・非標準への対応性・再現性・透明性といった事柄に関係します。 これからは会社番号の発行も始まります(こちらは、国税庁の主幹活動となりますが)。こちらは、セキュリティ管理という点では、個人番号よりも比較的緩やかな利用条件となっています。  (先頭へ戻る)
その12:「マイナンバ」対応とデータマネジメントの考え方について

 

いよいよ10月のマイナンバー通知カードの住民世帯への送付まで、ほぼ1ケ月(正式には10月5日付けで発送開始と言われています)になりました。今回は、一般企業からみたこのマイナンバーの取り扱いと、これに伴うデータマネジメントの考え方を簡単に説明します。


マンナンバーカード(身分証として利用可能)の個人への発行は平成28年1月になって開始されますが、企業の税務、社会保障関連分野での公的業務への連携を目的とした社員および世帯員(パート、アルバイトを含む)のマイナンバ情報の収集は10月の通知カード発行以降、年内に行って良いこととされています。ここで収集した個人番号は、先の関連業務以外への利用は禁止されていますので、企業にとってはこの収集した番号は人事関係の新たな一つの属性データの増加として扱うことになります。特にセキュリティ上の厳しい管理規則が必要な情報という位置付けです。この番号の使用は当面、税務、年金、健康保険などの関連機関への連絡帳票への使用のみといえますので、当該帳票類への表示が必要なときに、限定した担当者だけが参照できるという形で対応するというのが一般的な考え方になります。


いわば、その時以外は、この人事情報は金庫の奥に深く保管しておき誰もアクセスできないものというイメージです。但し、当該社員等が退職するなどして管理の必要性がなくなった場合には、速やかに廃棄(削除)するという考慮が必要です。法律で定められた帳票等では、最長7年保管する必要のあるものが存在することに注意が必要です。従って、担当者が変更になる可能性を考慮すると、関連情報の取り扱いに関する社内規定を明確にして、情報取り扱いに関する取り扱いが確実に継承できる準備をしておくことが必要となります。


この情報の取り扱いを外部へ委託する場合には、その外部取引業者(税理士や社労士などを含む)の委託管理をきちんと行わなければならないという義務が課されているという点も見逃すことができません。取引先の管理を契約を含めて再定義することが要求されています。この委託は、委託先からの再委託についても同様の管理義務が生じます。この点注意が必要です。


また、税務の関係から業務上の支払いについて、講師料、顧問料などの個人への支払いにおいては、対象取引先のマイナンバ入手および管理が必要になるため、人事系マスタに加えて、この取引先マスタ(内のマイナンバ)についても、これまで述べてきたのと同様の管理義務が課されることを見逃せません。

 

再度整理すると、マイナンバ対応では、当該データの入手・利用・廃棄といったデータのライフサイクル視点でのデータマネジメント、その情報のアクセス管理(画面や帳票を含む)、データバックアップを含めたセキュリティ対応、そして人事・経理を中心とした人的な組織管理(業務フローと引き継ぎ確実化を含む)が要求される一大イベントということができます。(見方によっては、官公庁の業務を企業が一部法律によって的に引き受けることであるといえるでしょう)    (先頭へ戻る)

 

その11:データマネジメントと成熟度モデルについて(その3)

 

今回は、データマネジメントの成熟度モデル適用を考えることのビジネス上のメリットについて、理解を深めることにします。


ビジネス運営を組織的な形で推進する上で大切なことは、信頼性の高い状況把握の元に、組織の持つ各種資源(人・モノ・カネ・情報)を効果的かつ効率的に活用することです。そのためには、①活動の品質を高め、②関係者の理解が共有され、③向かおうとする方向性を合わせたものにする、ことが最適な結果を生むための分かりやすい道のりだといえるでしょう。企業の資源であるデータを取り扱うデータマネジメントにおいても、このことは例外ではありません。


ここで知識体系(Body Of Knowledge)としての既存整理領域と、その具体的方法としての適用ケース例を参照することが成功への近道であるということになります。それが成熟度モデルを利用する意義です。つまり、組織が活動する上でより確かな、品質の高い視点を元に動き出せるということです。この時、どの項目を優先させるかは、自分たちのビジネスへの取組み方針をベースにすることで、カスタマイズした考え方を取り入れることになります。


成熟度モデルに基づくことは、立ち位置から見た視野と関連する活動項目が見えるようになることです。そしてそれらを、(1)自分たちの現状として理解し、(2)更に到達したい「あるべき姿」という2段階の整理を行い、それらを関係者で共有することで、これから何を実行して行くかを理解しイメージ作りをすることができます。当然それらの必要項目を元にして、誰がどこを担当するかといった分担の議論を進めることができるようになるということです。


いわば、現状と到達すべき姿が、誰が担当するかという内容と一緒に整理する訳ですから、あとは、この目標(ゴール)に向かって時間軸を設けることで実行段階に進めば良い。その際には、この実行段階においては、適宜、活動内容が実現スケジュールとどの程度適合しているか、予算とはどの位乖離があるか、実行上の課題は何かといったことを管理する必要があります。それがプロジェクト管理の役割です。


以上のように、成熟度視点を導入し整理する、そしてそれに基づいて活動を行ってゆくことが、ビジネス活動の成功を支える上で大きなメリット源として繋がっていると、理解されるのではないでしょうか。


尚、DMM(データマネジメント成熟度モデル)に関しては、筆者が7月17日に開催されたJEMUG(日本エンタープライズ・モデリング・ユーザ・グループ)主催勉強会での話題として取り上げました。この時の内容に興味のある方は、「問い合せフォーム」を利用して照会下さい。  
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その10:データマネジメントと成熟度モデルについて(その2

 

今回は、データマネジメントの成熟度モデルについて、少し具体的に考えることにします。

成熟度を考えるということは、第一に対象を定義し、その状態を認識し、何らかの基準で状況を計測判定できるようにすることを意味します。そして当該基準を物差しとして、段階的な発展のステップとして表すことができるようにすることです。こうすることで、現状を認識し、目標とするマネジメント状態を設定することが可能となります。そしてそのギャップを埋めるために、何をどういう時間軸で進行させることの計画作りを行えるようになる訳です。その際には、誰でも一律の計画を設定するということでなく、自分たちの組織にとって何が適切かを固有のものとして判断しながら、コスト配分と実行性のある時間的流れを表現することになります。


選択する対象としては、当然ながらデータマネジメントに関わるプロセス要素群を用意します。その要素群の抽出は、一から考えることもできなくはありませんが、やはり経験を利用できるものがあれば、計画作成上での効率性を高め、できるだけ漏れの無い形で設定することができます。そのために、参照できるモデルがあれば積極的に利用する取組み方が推奨されます。その参照モデルの一つとして前回触れたCMMIのデータマネジメント成熟度モデル(DMM)を位置付け利用することができます。(尚、取り上げられているプロセス要素群は、モデルによって差異がある点に注意下さい)


CMMIでの成熟度段階は、次のような5段階として定義されています。レベル1:実施(Performed)、レベル2:管理(Managed)、レベル3:定義確立(Defined)、レベル4:計測(Measured)、レペル5:最適化(Optimized)。プロセス要素ごとに各レベルに対する達成項目が規定され、下位の達成項目が全て満たされることを条件に、上位の段階評価へ進むことができるという考え方になります。CMMIのDMMでは、5つのメジャーなDMカテゴリをピックアップし、それにCMMI共通のサポートプロセス・カテゴリを加えて、合計6つのカテゴリの中に、25のDMプロセスエリアを当て嵌める形式を取っています。


5つの主カテゴリは以下のものです。①データマネジメント方略(Data Management Strategy)、②データガバナンス(Data Governance)、③データ品質(Data Quality)、④プラットフォームとアーキテクチャ(Platform & Architecture)、⑤データオペレーション(Data Operations)。そして第六番目として共通の、⑥サポートプロセス(Supporting Processes)。これらのカテゴリの中に、それぞれ、5、3、4、5,3,5のDMプロセスを当て嵌めています。それぞれのプロセス要素は、独立性の高い関係性として項目整理されているというのが、CMMI DMMの特徴として説明されています。


次回も、引き続き、データマネジメント成熟度モデルについて考えたいと思います。


尚、このDMMに関しては、筆者が7月17日に開催されたJEMUG(日本エンタープライズ・モデリング・ユーザ・グループ)主催勉強会での話題として取り上げました。この時の内容に興味のある方は、「問い合せフォーム」を利用して照会下さい。  (先頭へ戻る)

 

その9:データマネジメントと成熟度モデルについて(その1)

データマネジメントを組織的に確実性をもって進める には、幾つかの基本的な考え方に目を向けることが大切です。その要素を挙げてゆくと次のようになります。①データの棚卸しとプロセスの明確化(What & How)、②各データ取り扱いの体制作りと責任の明示(Who)、③データライフサイクルを意識した全般フローの可視化(When & Which)、④データマネジメント継続目的と期待効果の共有(Why)、そして⑤予算化への動機付け(Funding & Prioritize)。特に、⑤はデータマネジメントを組織内で継続的に行ってゆくために、CEOからの理解を得る上で忘れてはならない視点といえます。


一言でデータマネジメントと表現しても、実際の仕組み作りは各社一様のものとはなりません。データメネジメントを行おうとしている企業のおかれている状況(要員構成やスキルなど)によって、必要要素の組合せや優先度といったものが大きく異なるからです。これらを経営者が判断できるようにするためには、自分たちの現在の状況がどういう位置付けにあって、しかもどういう状態を目指そうとしているのかということが見えることが第一歩です。現在の立ち位置と、どこへ向かえば良いかが分からなければ効果的な身動きを誰も取ることができません。


つまり、これらの要素と自社にとってのあるべき姿を見える化する手段としての「データマネジメント成熟度モデル」が必要とされる背景がここにあります。繰り返しますが、(1)あるべきデータマネジメントの要素としての全体像(地図)、(2)現在の状況(位置)、そして(3)向かうべき方向(進路)が必要だということです。これに加えて、データマネジメントの管理と予算作りのためには、時間軸(タイムライン)を加えておくと、経営者にとって判断しやすい材料となります。


この成熟度モデルの基本的な考え方で最も有名といえるのが、米国のCMMI(カーネギメロン大学ソフトウェア工学研究所で発案)成熟度モデルです。このCMIで提示した成熟度モデルの適用対象には幾つかの分野があります。その中の5番目の対象モデルとしてCMMIデータマネジメント成熟度モデル(CMMI DMM(Data Management Maturity) Model)が、2014年8月に公表されています。これは、有償で誰でも入手することができます。このCMMI DMM以外にも、幾つかのデータマネジメント領域を対象とした成熟度モデルが発表されていますが、それらは少しずつ違いがあり、逆にいえば、一つの発表モデルで必要な全てが賄われるということではない、つまりオールマイティな唯一のカードは存在していないといえるでしょう。これらの成熟度モデルを参照しながら専門家の活用を織り込みつつ、自社に合ったマイルストーンを考えるのが、確かなデータマネジメント仕組み作り戦略ということができます。


次回は、この成熟度モデルについて、もう少し具体的に考えることにしましょう。   (先頭へ戻る)

 

その8:データマネジメントの仕組み作りと、その評価をどう考えましょうか?

最近、さまざまな企業や団体での「データマネジメントの在り方」ということが注目されていると感じます。特に、ネットワークを介した(ウィルスなどを利用した)個人情報漏洩や情報セキュリティの話題と絡めて、ホットな領域であるといえるのではないでしょうか?ITCの技術的な環境に関しては、コスト面の削減期待を込めて、いわゆるクラウドの利用が大きく取り上げられているという今日の状況です。しかし基本的な取組み方針を確立する前にこういった技術へ飛びつくというのは、単なるリスクの外部への丸投げに繋がってしまいかねないという点に十分注意しておくことが必要です。


それでは、このデータマネジメントを確実に行えるようにするためには、どのような点に着目しておくべきなのでしょうか?まず、最初に行うべきことは、①データ資産の定義と棚卸しです。次に行うのは、②それらが、どこにあって、どのようなフロー(流れ)を生じているかを見定めるということです。そして、③それら各データを重要度に応じて、どういった取り扱い方、並びに管理方針を適用するかを決めてゆくことです。これを行うためには、④適切な組織や人との紐付けを行い、責任を明確化し、データの取り扱いの権限を見える化することも大切ということになります。これら要素を一体化して運用することが、少なくとも安心感を生む管理方法という最低限の状態です。


更に、この管理できている状態というのは、全ての要素を一足飛びに作り上げるには難しさが伴うだけでなく、相当の時間や人的資源を要することです。従って、⑤データマネジメントを行ってゆきたいという組織の持つ現在の能力レベルや保持資源を見据えた「段階的」で「継続的」な視点を持つことが達成上のポイントということになります。そして、この段階的な見方が同時に、⑥仕組み機能性の「評価」の役割を果たすことにも着目すると良いでしょう。


こういった点から、取組みの方向性として検討され整理されているのが、いわゆるデータマネジメントのための「成熟度(マチュリティ)モデル」という考え方です。この成熟度モデルには幾つかの検討領域が発表されています。次回以降、その内容の幾つかを紹介し、評価への応用の方向性なども考えてゆきたいと思います。   (先頭へ戻る)


その7:「データの定義」と「概念化」の関係を探る(その3)

近年に話題として取り上げられている工学系の学問領域に「感性工学」およびその中の「感性計測」科目といったものがあります。日本人のもつ感性への敏感性を特徴にして、「学」として確立し、この感性工学という語を”Kansei Engineering”として世界に定着させようとして日本感性工学会が活動しています。(しかしこのKanseiという言葉はなかなか”Kawaii(かわいい)”の語ほど広がりは見せておらず、最近は、”Affirmative Engineering"に呼称を変更する動きがあるとのこと)

ここで感性工学の話を持ち出したのは、「データの定義」と「概念化」、そしてその手段である「データのモデリング」は、この「感性」に属する話題なのではないかということを思いついたからです。感性についての話題、例えば「美」や「かわいい」というイメージには絶対的に正しい答えというのは存在していませんが、それを例示として示すことが可能です。つまり、表現に関する共通の表現論や技術は存在するが、それを実体描写に利用した時点でそれはあくまでも一つの事例に過ぎないという存在になるということです。

従って、データモデリング技術を利用して一つのモデルを作成したとしても、それは絶対的な回答ではなく例示として取り扱わざるをえないという訳です。こういったことが応用分野としての「工学」の価値を生むと同時に、その成果物を絶対的なものとして取り扱うことを拒む要因となる。成果物について、余りに自己の正当性・絶対性を主張し過ぎることは意味をもたないということ。それらを見るためには、幅広い許容性を備えた心が必要であるといえるかもしれません。

「定義」は元々「言語表現」に属することであるし、「概念化」は表現者(設計者)が捉えた対象のイメージレベルということができると思えます。そしてそれらは、利用者によって受け入れられるか否かが問題となる。この点、「分かりやすさ」が一つの評価・判断項目といえそうです。こういった意味で、技法習得とそれを利用するコミュニティの存在が大きな役割を果たすものと考えることができます。    (先頭へ戻る)

その6:「データの定義」と「概念化」の関係を探る(その2)

自分たちの取り扱っている、データの意味を「定義」し、また共通のコンセプトとして対象を「概念化」するということについて、もう一度その必要性と意義を考えてみましょう。


私たちはITシステムの持つ処理能力を利用して、ビジネス上の目標達成への効率性、有効性を高めようとしている訳です。そしてこのITシステム、あるいはその上で動作しているアプリケーションソフトウェアが意味のある動きをしてもらうためには、これらの資源に対して自分たちのビジネス環境と、その環境の上で物事をどのように操作してゆきたいかを伝える必要があります。いわば、ビジネスのリアル世界という現実を、ITシステムやアプリケーションソフトウェアに伝え、「意識化」してゆくということです。


これは、ビジネスという外界を認識し「意識化」してゆくということ。漠然と当たり前の用のように行っていた(或いは行おうとしている)行動を「分離抽出」し、これらに名前付けをしてシステムという意識体系化するということです。こうして初めて、自分たちがビジネスとして直面している外界をITシステムの上で擬似的に操作するということができるようになります。従って、データの定義の仕方と、コンセプトやプロセスの表現の仕方が、ITシステムという仮想的世界に直接影響を与えるという関係が成り立ちます。


ところが、このようなシステム化(意識化)を行った途端に、私たちはビジネスを認識する仕方に「制約」を生んでしまうというジレンマに直面します。システムや、それに関係する多くの人々との間で一応の認識の共有化は行えているものの、それは現在の本当の現実であるかは誰も保証することはできない。「ビジネスは常々変化し続けている」という言葉は良く耳にするところですが、「制約を設けた『システム』という仮想的な現実」の概念ライフサイクルを投資に見合った形で長持ちさせ、或いはビジネス変化を概念の中に容易に反映することを可能にするためにも、システムとそれを形作るデータの定義や概念を、正しくマネジメントし継承できるようにしてゆくことの重要さが再認識できるのではないでしょうか?   (先頭へ戻る)

 

その5:「データの定義」と「概念化」の関係を探る(その1)

「自分たちが利用するデータを思うように定義するためには、ビジネス視点から整理することが必要である」という点について以前のメッセージで簡単に触れました。これは、(1)ビジネスをどのように見て、(2)それをどのように業務の上から処理し、(3)また結果として眺めている(分析視点を含む)という点からみて当然のこととして理解されると考えます。従って、この部分を他人任せにすることは、敢えていえば「自分たちのビジネスへの取り組み姿勢の見える化を放棄している」といえるでしょう。

一方で、言葉だけで自分たちの捉えているビジネス概念を誤りなく伝えることは、とても難しいといえます。言葉の役割として、一つは「自分の考えを表現する」ということがあり、もう一つは「自分の考えを伝達する」という点があります。表現し、伝えるための情報量が大きくなり、また複雑化するに従って言語文字だけで正しく伝えることに難しさが加わります。

この難しさを補完するためにいわゆる図面言語としての「データモデリングと、その表現図」の果たす機能があるといえます。これは単なるデータモデル図を書いただけでは不十分で、これにデータの意味(定義、コード値、取り扱いルールなど)を付加し全体的な情報として初めて、他者へ自分たちの意図を正しく伝えることができるという訳です。特にビジネスにおいてITの力を借りて、効率化を進める分野では、折角大きな投資をしてシステム構築をするなら、意図したビジネス概念を継続して使えることが、投資効果を上げる上で必要な考慮点です。何か新しい取り組みを行う都度、一から概念構築を始めることほど非効率的なことはないといえます。

言葉という点からいうと、(1)用いる言葉の文法を知り、(2)その利用方法を繰り返し練習することで、(3)その言葉を習得するというプロセス、が必要になります。これは言語習得の始めの時点では使えるまでに時間が掛かることではありますが、習得後の継続的で正しく伝えるという利用効果を考えると、大切な取り組み上の要素です。また、こういった言語の習得により、新たなビジネス表現手段、概念化の考え方を身につけることに繋がってゆくといえます。是非、経営者の方にも理解頂きたい視点です。     (先頭へ戻る)

その4: データや情報を「正しく判断する」には「コンテキスト思考」が大切だということ

最近、NHK夜9時のニュース番組を見ていて気になった報道内容があるので一言。その報道内容は、「コーヒーを飲む人”病気で死亡の危険性低下”」というものでした。私がこのニュースを聞いて気になった主な点は、以下の2つでした。


第一番目は、その内容について。研究者の研究成果案内、という位置付けでしたが、「この内容は本当かな」というのが所長の抱いた正直な感想です。研究者による所謂「科学的」な研究成果というものでしたが、この「XXを飲むと」、「YYが起きる」というのは少し安易な結果の要約ではないかと感じました。それは何か、健康飲料とかサプリメントの宣伝文言を聞いているような感覚でした。一方で、これまでコーヒー(やタバコ)を飲み過ぎる健康への害については、今まで何度も聞いたり見たりしています。要は、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」の一種類か?つまり、因果関係に関する背景(コンテキスト)の説明が無さ過ぎるヘッドラインニュースだったということ。このニュースの真偽や価値判断に結びつけられない報道に思えました。まるでTwitterのようであった。(尚、この件について所長は、元の論文発表に遡ってみてはいません。オリジナルの研究結果がどうこうと言っている積もりではありませんので、その点念のため断ってお断りします)


第二番目は、その取り扱いの仕方、いわば価値観選択の善し悪し。これまで流布していたと思われるコーヒーへの常識を覆す(ような)結果かもしれないという点で、「面白み」はあるのでしょうが、夜9時台のNHKニュースで取り上げるような価値内容だったのかという疑問点。一時大きな話題となったSTAP細胞ほどではありませんが、その小規模版のような扱いに感じたというのが正直です。余り他に報道するようなニュースがなかったので取り扱われたのかもしれませんが。ニュース編集者の説明が聞きたいものです(笑)。


上記の2点はいずれも、「ニュース価値判断には、その背景説明(情報)が必須である」ということの再認識に繋がっているといえます。ビジネス的に使えそうだから世間にある大量のデータを利用するというだけでは「ビッグデータ」利用には、判断には危険性が伴う。「常にコンテキスト情報を踏まえて情報の利用判断を行う」のが、事象の個別判断には必要とされるということです。データや情報を扱う人間の立場として、心得の一つに大切にしたいと自戒します。(尚、臨床心理学分野では、これを「ケースにおける『見立て』の大切さ」として取り扱っています。また、易学分野ではこれを「筮前の審事」と呼んで大切にしています。無闇に決めつけてはならないと)


【補足】上記報道の内容、少し気になったのでトレースしてみました。まず、報道の内容は以下です。
コーヒー飲む人“病気で死亡の危険性低下” : http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150507/k10010072081000.html
また、がんセンターのHP発表詳細:     http://epi.ncc.go.jp/jphc/745/3533.html
内容としては、トレース対象となった健康な人のコーヒーや緑茶引用習慣のアンケート調査と、その後の追跡調査で、傾向性を調査した結果ということです。コーヒーだけの話題ではないし、必ずしも決定的な健康要因を語っているわけでもありませんでした。この内容の取り扱いとしてのニュース報道扱いには疑問が残るような印象が残りました。   (先頭へ戻る)

その3: クラウドの利用とデータマネジメントということ

  • データマネジメントに関わりの深いデータの分類視点というのは、単なるシステムの課題ではなく、経営課題として考える必要があるということが前回の結論でした。自分たちが取り扱っている商品やサービス、そしてそれらをプロセスとして業務で取り扱い、さまざまな切り口に沿って動きを理解するというあらゆる局面でのビジネスの見方を規定するのが「分類」であり、それらを正確に扱うことを保証するのが「データマネジメント」という領域であるからです。
  • 企業のシステム利用の方法として「クラウド」環境というのが優先度の高い選択肢として考えることは、コスト的に当たり前の状態となってきています。クラウド環境では、ややもすればその環境がブラックボックス化してしまうという状況に慣れてしまい、データそのものを自分たちがどう取り扱っているのかを忘れる(考えもしない)という状況を生む危険性が含まれていることを認識しておく必要があります。
  • このデータ資産のマネジメント視点を再認識し、データの企業における有効性を継続させる手段が「データモデリング」という考え方です。この考え方では、自分たち企業の中で、①どのようなデータが存在し、②どのようなビジネス上のデータ分類視点をもち、③どのように取り扱ってゆくべきか、という基本的な整理を行い、継続的な利用を可能にする基礎を作ります。また、こうした目に見える形での整理をすることで、企業内のあらゆる人々とのビジネスコミュニケーションを可能にする材料にもできるということになります。クラウド環境という便利さを利用する際には、尚更この考え方を忘れてはならない理由がここにあります。
  • データモデリングは、一見専門的な分野に見えます。しかし正しい、かつ継続的なビジネスコミニュケーションを行う基礎作りという意味では、必要なスキルであるということができます。尚、これまでの経験からデータモデリングのために利用する表現技術には幾つかの手法があるというのが実際です。しかし注意しておきたい点として、どの表現技術が絶対的に正しいがという議論に陥るのは、かなり不毛な議論であるということがいえます。これを利用する人たちが共有情報表現の手段として理解できる言葉であるというのがポイントであり、宗教的な絶対性を議論する必要はない、というのが筆者の立場です。認知行動療法でいう、スキーマ体系の認知モデルとして「中核的思い込み(信念)」を主張しすぎることは避けることが実際的な有用性発掘のポイントであるわけです。
  • また、このデータモデリングを支援するツールも幾つか存在しますが、目的に応じて積極的に利用したいものです。   (先頭へ戻る)

その2:「分類する」ということ

 今回は「分類する」ことのもつ意味を改めて考えてみましょう。「ビッグデータ」という言葉がもてはやされるようになっててから数年経ちます。大量のデータが、さまざまな立場の人たちから、いわば制約もなしに次々とデータ(ことばや映像など)が生み出されるという社会の中で、これらのデータから意味を見いだすために、「検索語」を利用してデータの価値を判別しているのが現代の情報分類の鍵ということです。


 これまでのビジネスやそれを実現するシステム設計の順番からいえば、まず取り扱うデータや物事を扱い易くするために「分類コード」を取り決めて類別をすることが先立っていました。例えば、「商品」でいえば、大量に取り扱う商品の特徴を区別するために、属性としての「大きさ」や「色」、「柄」などが性質として区別要素として取り決められる。それを販売する小売業では、売れ方の特性と結びつけるために「売り場分類(フロア、棚位置他)」を分類して役に立つ情報化をしようとすることになります。


 上記のように、物事を分類するということは、まず「ビジネスで対象となる物事をどう認識したいのか」という視点が必要であることが分かります。つまり、分類する、それをビジネス中で「共通性のある役立つ視点」として扱えるようにするためには、まずビジネス側からの見方が先立っているということです。従って、分類の仕方、いわばマスタデータのマネジメント(意味の表現や、取り決めの正確性、継続性)が、自分たちの扱うビジネスそのものの核になるという訳です。


 この意味で、マスタデータをしっかり捉えて扱えるようにしてゆくのは、単なるシステム担当者の役割ではなく、企業としての重要課題であるということが改めて分かります。「分類のしかた」そのもの、自分たちが取り扱うデータ(ビジネスそのもの)の表現方法が、重要性をもつというのもこの視点の延長にあります。従って、適度な表現方法によるビジネスの表現、いわばデータモデリングがビジネスの肝であるということになります。


 是非、企業組織の中で第一に共有したい視点ではないでしょうか。それが経営者の責任でもあるといえます。    (先頭に戻る)

 

その1: はじめに:「名前は、意味を求められているか?」

・"What's in a name ?" これは、大変有名な戯曲に出てくる主人公の言葉の一節です。データマネジメント視点から見た場合には、名前の果たす役割には何があるといえるでしょうか?


 データマネジメントでは、管理・識別しようとする対象を唯一のもの(ユニーク性)として区別することが必要とされています。この意味では、例えば「鈴木一郎」という固有名詞を利用するだけでは、人を識別するために期待された役割を十分に果たすことはできません。なぜなら、「同姓同名」の存在も有り得るし、一方では名乗った名前(ラベル付けされた名前)が本物であるかどうか分からないということもあるからです。つまり、人の名前というのは、対象である「その人」を知っている、或いは周辺の属性(住所、誕生日、他)と結びつけている、という状況があってこそ意味を表すということになります。


 それでは、名前だけでは識別性がないからといって、仮に「123456789」というユニークな識別番号を対応させれば良いかといえば、人間の意識からすると、それでは理解性を得られないといえるでしょう。ある携帯電話の番号が読み上げられたとしても、それでその番号の持ち主の顔をイメージできるかといえば、そうはいかない。ここに名前の果たす役割の不思議さがあるといえるでしょう。


 今年10月からマイナンバー制度へのスタートアップが始まりますが、これはやはりデータマネジメントの都合上の話題であると、改めて考えさせられました。個人情報保護の視点を含めて、新たな迷路作りにならないことが求められるといえます。    (先頭に戻る)